カンボジアの村で同居。ネガティブを学んだ苦し悲しき孤独な物語

夫と結婚するにあたり、義両親から「一緒に住んで欲しい」と言われたが、「子供が出来たら」と先延ばしする返事をしていた。しかしすぐさまそれは現実となった。

結婚式を終えた翌月に妊娠。

「海外だし私は子供の育て方わからないし、産んだら子供は義両親に見てもらってすぐ働けばいいや」

と安易に考えていた。

そしてついに時はやってきて、カンボジアの村生活がスタート。出産まで1ヶ月切った時期だった。

右も左も上も下も前も後ろも、本当に360度わからない空間の中で生活。
とりあえず掃除でもと思うが、臨月の私がやると周りが「辞めなさい!しなくていいから」と止められる。

しかし臨月といえども、運動した方がいいし、家でずっとボーとしているのは気が乗らない。かといって夫は仕事へ行き、私はもうバイクにも乗れないので、家(村)に閉じこもりな状態が続く。夫は仕事を減らして側にいてくれたけど、仕事はゼロではない。その頃は私もカンボジア語は少ししか話せなかったので、旦那がいない義家族との食事は、気マヅイ事極まりない…。

出産後、本格的に村での同居生活スタート

そんなこんなで出産を迎え、どうにか出産をして、同居生活が本格的にスタート。私は難産だったので、出産後1ヶ月は動けなかった。だけど長男の嫁として、ずっと寝たきりというのもアレだし、洗濯機がないからここでは手洗いなんだけど、洗濯物をお義母や妹にやってもらうのが抵抗があったりして、気持ち的になかなか休まらない日々が続く。焦る気持ちがある程に、私の体調は優れず、病院へ通う日々が続いた。

1ヶ月間は赤ちゃんの面倒を義母が見てくれたので、私は母乳をあげるのみ。赤ちゃんを抱っこするのもしんどかったので、これは本当に同居で良かった、助かったな〜と思いながら過ごす日々。

体調も落ち着いてきた2ヶ月過ぎに、ふとある事に気付いてしまった。

「子育ての主導権が義母にある」

「赤ちゃんとお散歩に出かけるから、今母乳あげて、あなたは寝ていなさい」
「ご飯出来たから食べなさい」「今見ててあげるから、シャワー浴びてきなさい」「赤ちゃん見てるから、どこか散歩に行ってきてもいいよ」

優しさといえば優しさなのかもしれない。だけど日本で10年近く一人暮らしをしてきて、私生活を指示される事に慣れてない私は、早くも違和感を抱く。

でもその頃の私はカンボジア語もままならないし、でもなんとなくヒアリングは出来ていて、何を言っているかはわかる。だけどカンボジア語で自分の意思を伝えるのが出来なくて、「YES」としか言わない日々。又は愛想笑顔で回答。義家族はそれを「YES」・「了承した」ととられてしまう。

現状を変えたい。しかし…

この現状を変えたい!もっと楽しく生きたい!と思うが、どうにもならず。

この頃の私は「家族はどんな事があっても離れてはいけない」という自分が作った檻の中にいた。周りの意見にも耳をかさず、自分が正しいと思った道、自分が信じた道だからこのまま引き下がるわけにはいかないっ!と、頑固な自分がいました。

間違ってたと思ったら引き返せばいいのにね

でも気付いてからも引き返さず、耐える日々、楽しくない日々をもうしばらく過ごす事となる。

続く

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