ネガティブ物語〜旦那のカンボジア家族を紹介〜

同居生活では私たち家族3人と、義両親と妹と弟1人の7人での生活。一応言っておきますが、皆英語は通じず、カンボジア語のみです。

お義母さん

お義母さんはおしゃべり好きで、最初はゆっくりわかりやすいカンボジア語で話しかけてくれるけど、話が乗ってくると早口になり、私が理解していなくてもお構いなしにずっと話している陽気な人。

お義父さん

お義父さんは寡黙な人。当時実家も新しく家を建てたばかりで、庭や駐車場等をせっせ、せっせと1人で造り上げていた。広い庭というか、雑木林を1人で耕しており、私からすると「気が遠くなる作業」を1人黙々とこなす。1日2日では効果が見れないけど、1ヶ月経つと、荒れ果てた雑木林が綺麗に整えられているのがわかる。「シムシティーを実生活で実践している人だ」と感じた。

一番下の弟

弟は甘えん坊。お母さん大好きで、(一応)働いているが給料は1ヶ月120$で満足している感じ。カンボジアでは結婚すると、男性が女性側の家に嫁ぐのが一般的。しかし弟は実家から遠くに嫁ぎたくないからと、結婚相手は親に任せ、同じ村に住む近くの女の子と話をまとめてもらい、めでたく結婚。現在は2児の父。

末っ子の妹

妹は当時19歳でまだ子供。しかし家の掃除や料理、実家で両親が育てているキノコ栽培を手伝ったりしている。大学へ行きたいと、旦那が2度お金を出してあげたが、2回共中退。その後22歳でカンボジアではまだ珍しい「できちゃった婚」をし、現在は1児の母。

もう1人の弟

もう1人弟がいますが、当時は出家してお坊さんとなり、近所のお寺に住んでいました。暇な時はよく実家に遊びに来て、息子と遊んでくれました。そして家族であってもお坊さんはお坊さんとして接する。両親もお坊さんの息子を敬います。ひざまずいて祈りを捧げたり、お坊さんが先に食事をしてから、我々が食事をとる等。現在はお坊さん業を退職し、結婚して1児の父。

以上、旦那家族の紹介でした。

家族への感謝

こんな外国人の嫁を受け入れてくれた家族には感謝しかない。カンボジア語もわからない人を家族として迎えた彼らの心境はどうだったのだろう。きっと苦労の方が多かった事だろう。当時の私は古いライターの使い方もわからないし、シャワーはお湯じゃないと入れなかった。カンボジアの3月と4月は暑過ぎて暑過ぎて、クーラーが効いている部屋から出る事が出来なかった。1歩外に出た途端、めまいがする状態で外に出る気さえなかった。月に一度は体調を崩し、その都度、母や弟が病院や民間療法に連れていってくれた。文字通り家族に支えられながら過ごす。

ここで勘の良い人はわかったかもしれない。旦那は何していたの??

頼りにならない旦那さま

当時旦那は仕事ばかりの日々。出張で2週間不在というのもあった。1週間出張行って、帰ってきて、翌日にはまた3日間の出張。当時の旦那は「何かあったら妹が手伝うから。言葉が通じない時は、僕に電話すれば通訳するから、平気でしょ!?」という考え。

旦那という唯一日本語が通じる人が、家に不在の日々がずっと続く。

孤独のはじまり

ある日、お母さんは村の儀式へ、弟は仕事、妹は遊びに行った。
そうすると、ランチはお義父と私の2人きり。

「何が楽しくて私はお義父と2人でご飯を食べているんだろう」

ある日、義母は息子を連れてお散歩。妹や弟も出払い、お義父も不在という日もある。そうなると私はお留守番をしなければならない。

「何で私はカンボジアのとある村の家で、1人留守番をしているのだろう」

「今、私は何をしているのだろう。これはどういう未来に繋がっていくのだろう」

ネガティブな時に考える事は、ネガティブな答えしか生まれない。

自分がなぜここにいるのか、自分はなぜこの道を選んだのかがわからず、自分を疑い始めた時期。答えもみつけられず、私は1人部屋に閉じこもる日が増えていった。

孤独を感じ、孤立するようになっていった。

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